HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

マンガを通して世界を眺めてみよう/内田樹 『街場のマンガ論』

内田樹さんの『街場のマンガ論』読了。

 

内田樹さんの文章は僕の大好物で、真っ当な常識人的意見と、学術的で「誰も言わないこと」のセキセントリシティのバランスが絶妙で、こんな大人が身近に居たら絶対楽しい人部門で堂々第1位を獲得しています。どの文章もありふれたの食材から見たことのない料理を作るような論理展開に感心するのですが、主張自体は穏当なリベラル的発言が多く、僕にとって共感できる書き手の1人です。

 

この本はマンガについて書かれていますが、所謂マンガ論だけではなく、マンガを題材にして人間や社会についても分析されています。僕はマンガのヘビーリーダーではないので、マンガについて論じた文章より、マンガを使って別のことを論じた文章を楽しく読むことができました。内田さんは身近な誰でも知っている題材を用いて、今まであまり聞いたことの無い種類の話をしてくれますが、今回も遺憾なく発揮されているように思います。

 

さて、今回はこの『街場の読書論』に書かれていた、ヒーローマンガのロボット=在日米軍自衛隊)説について考えてみました。これは第六章 マンガ断想「アメコミに見るアメリカのセルフイメージ」(p182~187)に書かれていたことで、簡単にまとめると次のようなアイデアです。

 

 戦後のロボットヒーローマンガは、「恐るべき破壊力を持ったモビルスーツ状のメカ」を操ることができる「無垢な魂をもった少年」の「善用」によって日本の平和が守られているという説話構造をしている。このメカは「日米安保によって駐留する在日米軍」または自衛隊のメタファーで、「無垢な少年」は憲法9条平和憲法、そして平和国家日本のセルフイメージである。この『鉄人28号』、『機動戦士ガンダム』、『新世紀エヴァンゲリオン』まで続く「ヒーローマンガの王道」は、軍事力の平和利用というスキームでのみ「よいこと」が起こるという物語を「ほとんど偏執的に繰り返してきた」というものです。

 

このロボットを軍隊、主人公の少年を平和国家・日本のメタファーとして考えると、なかなか興味深いことが見えてきます。それは平和国家・日本と軍隊が徐々に密接な関係を結ぶようになっていく、ということです。

 

最初期の『鉄人28号』においては、少年はロボットの外側からリモコンで操縦するスタイルを取っています。鉄人28号はリモコンで誰でも動かすことができるので、敵によって悪用されてしまうこともありえます。この時点でロボットは価値中立的なもので、善用も悪用も可能な兵器として描かれています。寧ろリモコン(決定権)を誰が、どのように利用するかが問われているように思いました。また、ロボットと少年は別々の存在として分離しています。精神的にも肉体的にも両者は分かれていて癒合していません。表象の水準では、日本と軍隊は別々の存在として描かれています。

 

次の『機動戦士ガンダム』になると事情が少し変わります。それは主人公がロボットの中に乗り込むという形式になっているからです。ロボットはリモコンを使って動かすことができず、自らが乗り込まないと動きません。ロボットの中に入るので、場合によっては、主人公は身の危険を冒すことになります。戦闘に積極的にコミットして自らも戦地に赴かない限りロボットを活用することができないのです。この『機動戦士ガンダム』では、ロボットの外で遠隔操作するスタイルから、ロボットの中で操縦するスタイルに変わりました。説話構造だけを見ると、日本は軍隊に取り込まれつつあるように解釈可能です。冷戦の影響を見ることができるのでしょうか?

 

最後の『新世紀エヴァンゲリオン』になると、事態は一層進行します。鉄人28号ガンダムは誰でも操ることができました。『機動戦士ガンダム』には、ニュータイプと呼ばれる、ロボットの能力を引き出すことができる特殊能力者が出現しますが、原則的には誰でも操縦可能です。しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』では、もやは選ばれた人間しかロボットを操縦することができません。ロボットと一心同体になれる割合(シンクロ率)が低いと動かすことができないのです。このロボットは独自の意思を持ち、場合によっては乗り手の操縦を拒否して制御不能の状態に陥ります。もはや少年=日本は、ロボット=軍隊を完全に制御することができず、自らの意思に反して暴走する危険性を孕んだものとして描かれています。場合によっては、ロボット=軍隊は自分の命が危険にされされると、勝手に動き出します。また、子宮を模したと思われるコックピットからは、『機動戦士ガンダム』よりも、一層ロボットと少年が一体化したことを見て取ることができます。ここまで来ると、日本は軍隊を制御する主体であるよりは、軍隊と共身体を形成しているように見えます。日本と軍隊は別々の意思を持ちながら、軍事戦略上分離することができません。使徒=敵を倒すことができるのはエヴァンゲリオンというロボットであるという作中設定のように、日本を守り敵を倒すことができるのは軍隊(在日米軍自衛隊)であると見えてしまい、ちょっと怖い感じがします。

 

以上、最近テレビで『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版が放映されているということを聞いたので、それをもとにエントリを書いてみました。次に出てくるのはどんなロボットマンガなのでしょうか。戦わないロボットマンガだといいですね。

 

とりあえず、劇場版のエヴァンゲリオンを見たことが無いので、今度見てみようと思います。

街場のマンガ論 (小学館文庫)

街場のマンガ論 (小学館文庫)