HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

文学賞って、一番取りやすいノーベル賞って本当なの?

先週はノーベル賞ウィークでした。青色LEDで日本人が物理学賞を受賞したり、憲法9条が平和賞にノミネートされたりと、今年も話題に事欠かない一週間でしたが、個人的には「村上春樹さんの文学賞受賞ならず」がビッグニュースでした。


村上さんとノーベル文学賞については、日本ではもう何年も前からお祭り騒ぎで、毎年発表後にファンの落胆した様子がニュースに映りますよね。僕もにわかファンの一人として、毎年期待しては別の方の受賞にがっかりしています(すみません。受賞された方に他意は無いのです…)。


でも、本当に村上さんがノーベル賞を取れないことは残念なことなのでしょうか?今回はこのことについて少し考えてみます。


まず、そもそも村上さんはノーベル文学賞を欲しがっているのでしょうか?本人が欲しがっているならいざ知らず、欲していないものを毎年勝手に外野が騒いでいるだけではないのかという気がしなくもありません。僕の知る限り、村上さんがノーベル文学賞が欲しい的な発言をしたのを、見聞きしたことはありません(まぁ、普通の常識人がそんな発言するとも思えないですけど)。


では何故本人が、少なくても公式に欲しいと言ってないものを受賞できなくて、僕たちは残念がるのでしょうか?一つには、一般的にノーベル文学賞が世界最高の文学賞だと信じられているからでしょう。少し意地悪く言ってしまえば、自分達が愛好する作家が世界一の称号を得るというのは、翻って見れば自分達の選択眼の正しさが証明されることになります。それも世界最高の権威のお墨付きです。自分はこれまでワールドクラスの作家の作品を読んできたのだ。単なるラノベやエンタメ小説とは違うぞ、と。高尚な作品に親しみ、時代を洞察してきたのである。やはり 、自分が読み続けてきただけのことはある作家であった、云々。


いずれにしても、ここで問題になるのは村上さんではなく、自分のプレステージ性です。その権威付けのモーメントとしての村上春樹であり、ノーベル文学賞なのです。多分に不順な動機ですね。無名の作家を読んでいるよりは、大作家の作品を読んでいる方が箔が付きますものね。その気持ち分かります。「何読んでるの?やだ、○○さん村上春樹なんか読んでるの?(自意識過剰だと思った)」よりは「村上春樹ノーベル賞取った人ですよね。文学お好きなんですね」の方が僕も嬉しいです。


僕は自意識過剰だから、言われても仕方ないですが、他の人たちはどうなんでしょうね。本当にそんなくだらない理由で毎年ノーベル文学賞の発表を注視しているのでしょうか。同じ自意識でも、もう少し微笑ましい理由の方もいるかもしれません。それは例の日本人だから、というやつです。日本人が世界の舞台で活躍すると、我がことのように嬉しいというような、柔らかいナショナリズムのことです。サッカーのことなんてまるで興味も無いのに、ワールドカップになると饒舌になる人っていますよね(あ、僕だ)。これも一つのナショナリズムだと僕は思うのですが、普段気にしていないのに急に価値観の最重要項目に「国」が出てくることがありませんか。ノーベル賞って、少なくても日本においてはナショナリズムを煽る構造になっているような気がしてなりません。


日本人がノーベル賞を受賞しただけで、何がそんなに嬉しいのでしょうか。ましてや国民栄誉賞とかって話になるのでしょうか。同じ日本人として誇りに思うってことだと思いますが、これって結構判断が難しいです。「日本人」とは誰か、というある意味でお馴染みの問題系にぶち当たるからです。


例えば、ノーベル物理学賞を受賞された中村修二教授はスピーチで、日本の研究環境や企業体質を批判して、「奴隷のようだ」とか「自由がない」と発言したそうです。彼は現在カリフォルニア大学に在籍し、自分はアメリカ市民だと公言するとのことで、どう考えても彼を日本人の枠で捉えることは難しいでしょう。日本に愛着をあまり感じておらず、アメリカに定住していると容易に想像できることです。ある意味で日本を否定する彼がノーベル賞を受賞して、我々は同胞が受賞したと喜べるのでしょうか。


で、話は村上春樹さんとノーベル文学賞です。極論を言えば、授賞を逃して残念なのは僕たち「日本人」です。村上さんではありません(勿論、ご本人も毎年面倒臭いから早く受賞したいと思っているかも知れませんが…)。勿論、僕も村上さんの小説世界が世界の人から認められるのは嬉しいですが、それはノーベル文学賞というラベルではありません。作家にとって重要なのは、どれだけ多くの人に読まれ、どれだけ多くの人が彼の物語に共感でき、どれだけ多くの人の人生に良い影響を与えることができたか、それだけだと思います(勿論、自分の描きたかった世界を完全に表現することができたことが最も重要だという作家や、とにかく有名になることや金になることを重視する作家もいますが、エッセイやインタビューを読む限り村上さんはそういう作家ではないでしょう)。だから、ノーベル文学賞を受賞するかしないか、というのは本来作家にはどうでも良いことで、僕たちファンも積極的にコミットすべき問題ではないと思います。


まぁ、でもその視点から考えれば、ノーベル文学賞という世界一有名な賞を取ることの意味はありますね。より多くの人に届く可能性が高いわけですから。でも、ノーベル文学賞作家という肩書きが一人歩きするのも怖いですね。それで、「村上春樹」を敬遠する捻くれ者がいたり、先入観が入って物語と適切に向かい合うことができない人が出てきたりするかもしれません。う〜ん、侮り難しノーベル文学賞