HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

憲法と国民国家と資本主義/内田樹 『憲法の「空語」を充たすために』

今日本で最も注目されている思想家の1人・内田樹の新著が「かもがわ出版」という京都の小さな出版社*1 から出されたということが、この本の全てを物語っています。

 

この『憲法の「空語」を充たすために』は、大手出版社から出すことができない程、過激な主張が満載なのです。安倍現首相の政権運営を批判し、自民党改憲案を扱き下ろします。試しにいくつか引用してみましょう。

 

現行憲法は軽く、自民党憲法は重い。現行憲法は総理大臣がその尊重擁護義務を怠ってもそれを「憲法違反だ」と指摘する人がひとりもいないほどに軽く、自民党憲法はそれに違背したものにどれほどの処罰が下るか想像すると寒気がするほどに重い。(p21)

 

現行憲法には国民の憲法尊重擁護義務規定が存在しません。当たり前ですが、それは制定主体が国民自身だからです。自分が制定したものを遵守しないはずがない、という自明の理によって国民の憲法尊重義務は言い落とされてる。でも、自民党改憲案はうっかりそれを書き足してしまったことによって、この憲法の制定主体が日本国民でないことを自分で暴露してしまった〔引用者註:自民党改憲案の制定主体は「この憲法草案を起草した人間たち」で、安倍首相を始め自民党の有力者を指す〕。(p43)

 

内田さんはこうした自民党改憲案の異常さを、現行憲法や過去の世界史的憲法を引き合いに出しながら、一つひとつ説明します。そして、この改憲案が現実のものとなったとき、一体いかなる事態が出来するのかを説得力を持って描写します。

 

しかし、内田さんが本当に言いたいのは、自民党改憲案の「グロテスクさ」ではありません。民主主義に逆行する自民党改憲案が起草された今の憲法を巡る状況こそ真に「グロテスク」なもので、問題の根は自民党にあるのではないと、私は理解しました。では、現行憲法がこれ程までに軽んじられている状況や、民主主義・立憲主義を棄て独裁国家を目指していると著者に言わしめる日本の政治空間の変容は何故起こったのでしょうか?

 

内田さんは別の場所でユダヤ的知性の特徴として「問題の次数を繰り上げる」ことを挙げています。これは当該の問題を一段高いところから眺めることで、その問題を含む関係性や構造を見通すことだと私は解釈しています。

 

自民党改憲案について「問題の次数を繰り上げる」ことで見えてくるのは、グローバル資本主義日本人の総サラリーマン化一億総懺悔の3点です。内田さんはこの全く関連性が無いキーワードで日本の政治状況を鋭く分析します。まるで三題噺のような手際のよさと意外性で、最後まで一気に読んでしまいました。相変わらず、誰でも知っていることから、「こんな話は聞いたことがない」という論を展開する内田節炸裂の一冊です。

憲法の「空語」を充たすために

憲法の「空語」を充たすために

 

*1:実は初めて聞いた出版社でした。しかし、本書に同封されていた出版案内からは、ジャーナリストや出版人の矜持がプンプンします。昔気質の硬派でカッコいい出版社だと思いました。がんばって欲しいです。