HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

NO CAT,NO LIFE!/川村元気 『世界から猫が消えたなら』

この話は小説なんだろうか?僕が読後に感じた疑問だ。何だか小説として備えていなければならないものが欠落している気がする。

 
これと似た本を昔読んだことがあるな。何だったっけ?少し考えてみて気が付いた。『ソフィーの世界』だ。そこで、この小説を哲学的実験小説と定義することにした。小説らしくない理由が少しだけ腑に落ちる。何かを考えるために書かれた小説ではなく、考えた結果を伝えるための小説。
 
○○が世界から無くなるとどうなるか、物語はこのアイデアを軸に進んでいく。あるものが世界から無くなって初めて、それが担っていた価値や意味について思い至る主人公。そんなの世界から無くなっても全然構わないと思っていたちっぽけなもの。彼はそれらを一つずつ失うことによって、実は掛け替えのない存在だったことに気付く。やがて、彼は失うことを通して世界の成り立ちを、人生の意味を理解し始める。
 
この小説はそんなモノの消滅によって、モノが担っていた意味や価値を明らかにして行く彼の思索の過程が推進力となっている。例えば、電話が消滅したとき。
 
 携帯はその登場から、たったの二十年で人間を支配してしまった。なくてもよかったものが、たった二十年でなくてはならないものかのように人間を支配している。人は携帯を発明することにより、携帯を持たない不安も同時に発明してしまった。
 でも、そもそも手紙が登場したときもそうだったのかもしれない。インターネットだってそうだ。人間は何かを生み出すたびに、何かを失ってき
たのだ。(p49)
 
だから、この小説には風景描写や人物描写は殆ど存在しない。「描写」することで何かを伝えようとはしていないように見える。何かを伝える機能は専ら主人公のモノローグや、それより頻度の少ない、対話が引き受けているかのようだ。
 
でも、「描写」が少ないから、この話を小説だと感じないのだろうか。それも違う気がする。風景描写の少ない小説なんてそれこそ腐る程あるし。
 
僕が読後に感じた違和感、それはつまりこう言うことになると思う。さっきの哲学的実験小説の続きだ。この話には小説が持っているドライブ感が無いのだ。全てが予定調和的で、あらゆるものが静止している。一から十まで、例えば主人公の起きる時間すら決まっていて、全てが一つの目的のために役割が割り振られている。RPGに出てくる村人Aのように、決まったことしか口にしないのだ。無駄のない精緻な印象は、よく出来た推理小説のようだ。でも小説のダイナミズムは存在しない。
 
この小説には、自己生成的な、ダイナミックな生命感が存在しない。キャラクターが作者の手を離れて動き出すことはなく、話の結末は予め決まっている。躍動感の痕跡がないのだ。だから、この物語からは作者の声以外を聞き取ることができない。世界が閉じているのだ。
 
しかし、ここまで書いて僕は気付く。この消滅する物語を読んだ僕自分の存在を。主人公の思索と共に、世界の見え方が少しずつ変わっていった自分自身について思い出す。そうだ、確かにこの本は静止している。動いているのは、変わっていくのは、僕の方だったのだ。
 
この小説のダイナミズムは物語の中にではなく、外にある。読者をゆり動かす小説。それがこの『世界から猫が消えたなら』という小説の持つ力である。
世界から猫が消えたなら (小学館文庫 か 13-1)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫 か 13-1)

 
新装版 ソフィーの世界 上―哲学者からの不思議な手紙

新装版 ソフィーの世界 上―哲学者からの不思議な手紙