HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

金だけがすべてじゃないだろう?/平川克美 『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』

日々、目にする不吉なニュースの数々。グローバリズム、長期デフレ、年金問題少子高齢化。或いは不可解な殺人事件や、ため息しか出ない政治・経済の不祥事。

 

いつの間にか「閉塞感」を感じるようになって久しい。自分の未来に対する漠然とした、しかし確かな実感の伴った絶望感。今が人生のピークなのではないか、という不安。今の時代を取り巻いている空気を「閉塞感」と表現するなら、それは突破することができれば明るい未来が待ち構えている「殻」のようなものでは無い。袋小路の様な、歴史の戻ることのできない行き止まりである。

 
平川克美さんの『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』は、この「閉塞感」を考えるヒントを与えてれた。結論から先に言えば、この「閉塞感」は民主主義や資本主義という世界を覆いつくすシステムの、終焉の予感である。
 
彼は、2008年のリーマン・ショックを引き合いに出して説明する。曰く、リーマン・ショックについて世間で言われていることは、1929年の世界大恐慌に匹敵する規模の金融危機であるということだけで、「100年に一度の問題」とは極論すれば量や程度の問題である。つまり、資本主義というシステムの長期的な変動の一コマに過ぎず、これからも今までと同じ仕組みで世界が回っていくことを前提としているというのだ。
 
しかし彼は、リーマン・ショックはもっと大きな時代の転換点であると考えている。
それは世界の根本原理が揺らぎ、全く新しい時代の到来の過渡期に起こる「移行期的混乱」であると言うのだ。 
 
アメリカに始まった金融崩壊がその要因であるというようには考えるべきではないと思っている。金融崩壊は、いくつかある移行期的な混乱の中の一つの兆候を示しているに過ぎないと考えているからである。現在わたしたちが抱えている問題、つまり環境破壊、格差拡大、人口減少、長期的デフレーション、言葉遣いや価値観の変化などもまた、後期的な混乱のそれぞれの局面であり、混乱の原因ではなく結果なのである。(p43)
 
この失効しつつある世界の根本原理、あるいはシステムとは何か。平川さんは民主化資本主義であると言う。民主化とは、所謂政治システムのことではなく、人間一人ひとりが持っている自然な欲求を充足させるために自分の「権利を拡大していくプロセス」である。より良い生活を求める、この終わりの無いプロセスは、資本主義と出会うことで瞬く間に世界に広がっていくことになる。グローバリズムである。
 
資本主義とは、極論すれば金銭ですべての価値を比較考量する考え方である。そして、その判定は市場が下してくれる。時間も労働も、人間が持っているすべてのものは金の多寡で優劣が決まる。すべてのものは金と交換可能なのだ。それはつまり、金を持っている人間が一番偉いことを意味する。
 
僕たちは、より生活を求める民主化という権利獲得のプロセスを、金を稼ぐことに、或いは金を蕩尽することに置き換えてしまったのだ。金こそすべて。なんと貧しい世界だろう。この荒涼とした価値観は、さながらディストピアのようだ。勿論、生きるためには幾ばくかの金銭は必要だ。僕もしがない職で糊口をしのいでいる。しかし、金だけじゃないだろう、と言うのが本邦の伝統である。これは[第2章 「義」のために働いた日本人]に詳しい。
 
しかし、この「金銭一元的な価値観」を奉り、右肩上がりの経済成長を是とする資本主義が崩壊しようとしているのである。平川さんはフランスの人口学者 イマニュエル・トッドを引き糸に「民主化の進展」が人口の減少を招くことを例証する。つまり、民主主義と資本主義という世界を覆うシステムそのものが、人口減少を招来し、経済成長を停滞させているのである。
 
彼はこうした歴史的な転換点を前に、成長戦略に固執する日本を「身体は成熟したのに精神は幼いままでいる老人を思わせる」と評する。僕たちは時代の「閉塞感」を鳥のように飛び越え、心も身体も成熟した大人になることができるだろうか。それは、現代が「移行期的混乱」の只中であり、これまでのやり方は通用しないことを身をもって理解することから始まるはずである。
 
移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)

移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)