HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

君の才の天上のものなるに驚歎し、己が才の如きは地上一隅のものなるを思わざるは無し/穂村弘 『本当はちがうんだ日記』

ブログを書くのが生活に組み込まれるようになって、1週間が経った。2、3日に1エントリが限界だが、それでも、日記すら付けたことの無い私からすれば、隔世の感がある。このまま習慣化されると良いと思う。

 

しかし、ブログを書き始めて、自分に文章力が大分不足していることに気付く。残念ではあるが、こればっかりは才能の問題が大きい。いつかは私にも文才が開花する日が来るのかも知れないが、今時点ではその兆候は認められない。残念である。

 

特に気になるのが、他人の文章を読んだときだ。今まではちゃんと文章を書いたことが無かったので、ふんふん、と楽しく読むだけであったが、ブログを書き始めてからは、嫌でも己の文章と比較してしまう。う、みんな何て文章が上手いんだ・・・。一般の方のブログですら、足元にも及ばない。プロの作家に至っては言わずもがなである。

 

その中でも、これは天賦の才だ、と感心したのは歌人穂村弘さんである。*1 

 

穂村さんのエッセイは、我が家のトイレ本として、長らくその栄を欲しいままにしているが、1、2話読むだけのつもりで何十分も篭城していることはざらであり、トイレ時間が長いのはひとえに穂村さんのせいであることは、声を大にして妻に言っておきたい。決して、便秘気味ではないのである。

 

下の話はさておき、天才・穂村弘の作品の中でも、その圧倒的な文章力とユニーク過ぎる着眼点が光る、穂村ワールド全開の一冊が『本当はちがうんだ日記』である。 

 

正直に申し上げて、この本の凄さや面白さを語るのは不可能に近い。読んでみてください、絶対に後悔はさせませんから、としか言いようがない。いきなり匙を投げて恐縮だが、この文章は職人芸であり、天賦の才のしからしむるところであるわけで、凡人がそれを説明することなんてできるわけがないのである。しかし、凡人たる私も気付くことが無いわけではない。以下にそれを記す。

 

穂村氏は自分勝手な人間である。

己の情欲にまかせて高熱に苦しむ恋人の寝込みを襲ったり(p52)、夜道で誰かに後をつけられている恋人からの電話に対して面倒事を持ち込まれたと苛立ったり(p73)する。

 

穂村氏は情けない人間である。

恋人といちゃいちゃしたときに付いた大事な時計の小さな傷でうじうじしたり(p36)、「レアもの」を身に着けると素敵になれると勘違いしたり(p82)、凄いライブを見て嫉妬したり(p86)する。

 

しかし、穂村さんは安っぽい文章には決して逃げない。上辺だけの空疎な言葉は語らないのである。惨めな自分や不条理な世界を見なかったことにはしないのだ。現実に踏みとどまり、そこから思考を出発する。

 

恐らく彼は「普通」が普通ではないことに気付いているのだ。だから、何気ない日常のワンシーンに潜む狂気やおかしさや美しさを文章にすることができるのである。そうでなければ、「タクシー乗り場にて(p90)」や「それ以来、白い杖を持ったひとをみつめてしまう(p198)」のような心を揺さぶる文章を書くことはできない。

 

結論。文才とは観察眼である。*2

もちろん、それが分かったからといって上手い文章が書けるわけではないんですけどね。

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

 

 

*1:現代短歌を代表する歌人に向かって、天賦の才とは、どれだけ上から目線なのか我ながら関心してしまう。

*2:おぉ、解説の三浦しおんさんと同じ結論に到達してしまった。決して、真似をした訳ではないですよ、ごにょごにょ。