HopiHopi日記

読書日記(書評 ブックレビュー 読書感想文)に雑記少々。本を読んで、いろいろ考えます。

文体よさらば/保坂和志 『書きあぐねている人のための小説入門』

前回のエントリでも書いたけど、ブログを始めてから文章について考えることが多くなった。僕は文章を書くのに、とても時間がかかる。挙句にあんまり上手くない。一体みんなどうやって文章を書いているんだろう?あのブロガーさんの個性的な文章は誰かモデルがいるのだろうか?そんなことを考えていたら、「文体」とは何だろう?という(割と当然な)疑問が湧いてきた。

 

一般的に文体と言ったら、敬体と常体の違いとか、句読点の多さとか、難しい言葉を多用するとか、断定口調だとか、いろんな構成要素があると思う。でも、作家の保坂和志さんはそんな一般の人(=僕)の認識を一刀両断に切り捨てる。曰く、

 

文体というと、言葉づかいが硬いとか柔らかいとか、センテンスが短くきびきびしているとか、ダラダラと長く続いているとかいう違いのように思われがちだが、これはあまりにも表面的、即物的な見方で、それを文体というのなら、誰でもテクニックさえ磨けば、「いい文体」「味のある文体」が書ける。しかし、それは花そのものでなく花の絵を見て花を描くという子どもの絵の域を出ない。(p142)

 

んー。そうか、僕が文体だと思っていたのは「表面的、即物的な見方」だったのか。啓蒙、啓蒙。でも、それなら文体とは一体何のことだろう?保坂さんは次のように説明する。

 

〔風景を書いた文章は:引用者註〕風景のすべてを書き尽くしているわけではなく、何を書いて何を書かないかの取捨選択がなされていて、その抜き出した風景をどういう風に並べると風景として再現されるかという出力の運動(これが直列にする作業だ)に基づいて書かれている。意外かも知れないが、これが文体の発生であって、私の考えでは、文体というのはこの作業の痕跡のことでしかない(だから翻訳でも十分に文体が分かる)。(p141)

 

小説において風景を書くということは、3次元の風景を文字という直線の流れに「強引に」並び替えることで、この風景をどのように書くかが作家の個性=文体なんだということ。目で見ている風景の「何を書いて何を書かないか」、どういう順序で見えるものを文章にしていくか、そういったことの無数の選択がその人の文体であるということなんだと思います。

 

勿論、これは小説における文体を説明した箇所だから、小説以外の文体には当てはまらないのかもしれない。でも、ここで述べられていることはすごく大事だと思った。保坂さんの文体の定義を自分なりに少し考えてみることにする。ここからは保坂モード。

 

例えば、ブログの文章を書くとき、どんなテーマを選ぶか、どういった切り口で文章を書くか、文章の組み立て方や論理構成はどうするか、何を引用するか、こういったことを突き詰めて考えれば、「何が好きか」「何を考えたいか」の結果になる。つまり、文章を書く時に頭に浮かぶ選択肢や決断は、自分が興味を持っている、あるいは持っていた事柄の積み重ねの結果であり、その延長線上にあるものが、今書かれつつある文章を規定しているんだと思う。

 

この文章を規定している「何が好きか」ということは過去の出来事が関係しているというのはさっき書いた。その人が辿ってきた歴史――その人がどんな出来事を経験して、どんな人や物事に出会ったのか――が、その人の興味関心に影響を与えているはずで、そうした出来事の積み重ねが「何が好きか」ということの判断材料になっている。だから、その人が主体的に判断していると思っているのは、過去の出来事の結果でしかない。主体性を基礎付けているのは過去の出来事に規定された選択肢と指向性だからだ。

 

しかし、そうだとすれば、その人が文章を書くときの判断基準――「何が好きか」「何を考えたいか」――は、過去に経験した出来事に大きな関係があるからこそ、逆説的に個性が生まれる余地がある。誰かと同じ人生を歩んだ人は絶対にいないわけで、あなたと似たような人生経験のある人はいても、まったく同じ人生を歩んだ人は、絶対にいない。あなたが考えたことは、あなたが考えたという事実によってユニークなものになる。あなたと同じ過去を持つ人がいないように、あなたと同じ文章の人もいないはずで、だからこそ希望がある。

 

こういうことを書くと身も蓋もないが、あなたが自分の自然な感情によって、自分を偽らずに文章を書くことができれば、それだけでオリジナルな文章になる。自分の文体になる。結局は自分と向き合うことが、自分らしい文章を書くこと、自分だけの文体を手に入れることに繋がる唯一の道だとしか言いようがない。

 

結局は今まで僕が文体だと思っていたものは「語り口」でしかなくて、本当の文体というのは、何を書き何を書かないかということの繰り返しのよって事後的に出現する砂浜の足跡みたいなものだと考えると少しは実像に近づいたかもしれない。

 

・・・保坂モード終了。結局、前回と同様に当たり前の結論に到達してしまった。もしかしたら、僕はずいぶんレベルの低いことを考えているのかも知れない。そうでないことを祈りたい。

 

ちなみに、小説家志望の方は今回引用した『書きあぐねている人のための小説入門』はすごくおすすめですよ。僕が読んだことのある小説作法の本で、小説家になれそうなのはこの本と、高橋源一郎さんの『一億三千万人のための小説教室』くらいだと思います。まぁ、作家でもない僕の言うことにどの程度の真実味があるかは、皆さんで判断してください。

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

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一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

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